1939-1947


苦境を切り抜ける

1939年に第二次世界大戦が勃発、各市場に影響を及ぼすが、ネスレ・アングロ・スイスは一般市民と軍の双方に製品を供給し、困難な状況下でも経営を継続する。1947年、製品ラインアップに「マギー」スープと調味料を加え、ネスレ アリメンターナと改称。

1939

「ネスカフェ」の広告

日独伊枢軸によるスイス占領の可能性を恐れ、ネスレ・アングロ・スイスはマネジャー数人を米国スタンフォードの新オフィスへと移動させる。戦時中はここが第2の本社として機能を果たす。戦時下のヨーロッパからミルクを輸出することは不可能なため、アフリカやアジアには米国やオーストラリアから供給し、生産拠点もラテンアメリカに拡大する。


1942-1945

ネスレのチョコレートの広告

第二次世界大戦開始直後、「ネスカフェ」の売り上げは鈍化するが、戦争が続くにつれて持ち直す。米国が戦争に参加してからは、米国軍関係者の間でネスレブランドの人気が急上昇。終戦時には、日本やヨーロッパの援助物資品の中に「ネスカフェ」も入るようになる。1940年代後半には「ネスティー」の発売開始。


1947

「マギー」のポスター

ネスレ・アングロ・スイスは、「マギー」スープやブイヨン、調味料を生産するスイスのアリメンターナと合併し、社名をネスレ アリメンターナと改称。アリメンターナの歴史は1884年までさかのぼり、ジュリアス・マギーが低栄養を解消するため、たんぱく質を豊富に含むドライスープを開発したことに始まる。